体験記

うつ病が発覚するまで。精神科編

夜間に精神科救急を受診したひろしですが次の日には、かかりつけの心療内科を受診することにしました。当日予約の電話を入れると午後には診察してもらえるようになりました。
その時には昨日のような衝動性は湧いてきませんでした。精神科救急に受診した際に診療情報提供書という医師が他の医師へ紹介するために交付される書類がFAXされていたため(多分当直の医師が書いてくれたと思われる)経緯を主治医へ話しました。すると「いつでも入院のできる精神科病院が良い」「紹介状を書くのでどこの病院が良いですか」と聞かれたため、ひろしは以前から気になっていた精神科のある診療状を受診する事にしました。主治医は慌てていた様子で紹介状を書いていた為か薬を1種類出し忘れていました。ひろし、すぐにその事に気づきました。この時はそれぐらい冷静でいる事ができたのです。しかし誰も「あなたうつ病です」だなんて言ってくれないのですからまだ自分がうつ病だとは思っていませんでした。ただ副作用に苦しんで居るだけだと思っていました。

以前から気になっていた診療所を受診することにしました。ひろしの自宅から車で片道約40分の山のなかにあり、入院も受け入れている温泉診療所と呼ばれる所でした。なぜ気になっていたかというと前に勤めていた職場のスタッフからの評判が良かったからです。また通院してるスタッフも居ると聞いたことがあったからです。そんな事を聞いていたもんですから、自分がうつ病だなんてこれっぽっちも思っていませんでしたし、精神的な疲れがある程度だと考えていました。
小さな温泉街を抜けた山の中に診療所がありました。木造で中はレトロな作りになっていました。年齢層は様々でたくさんの患者さんで溢れかえっていました。2時間程待った頃名前が呼ばれました。紹介状を渡していたのですが医師に退職してからの経緯を話しました。すると「部長がいけないね」「なんでこんな良い人材を辞めさせたんだろうね」と共感してくれました。
これには普段涙なんて流さないひろしでしたが今まで表にでる事の無かった辛い気持ちの表れなのか涙してしまいました。胃のムズムズから始まり、体力の衰え、不眠すべて精神的なものと捉えており実際辛かったのは、抗うつ剤の副作用だけでしたから心気的なものと軽く考えていました。しかしここで初めて自分がうつ病であると実感するのでした。医師から「この薬を飲めば一週間ぐらいで状態が上がってくるからそしたら就活も初めて良いよ」とアモキサンという薬を処方してくれました。
アモキサンとは、抗うつ剤の中の三環系の抗うつ剤に分類され、憂うつな気分だけてなく、意欲を高める効果がある薬です。効果の発言も比較的早いと言われています。「この薬を飲めば調子も上がってきてすぐに就職活動できる」とこの時はそう思っていました。

ここでやっと自分がうつ病だと自覚したきたでした。退職してから約半年の事です。

元々体力の衰えは感じていたのですがいつの間にか気力も衰えていたのでした。副作用に悩まされていた為かその事には、全く気づいていなかったのです。外出も出来なくなり、数10メートル先のゴミステーションまでゴミを捨てにいこうと思っても行けないのです。なんでこんな簡単な事も出来ないのだろうと悩みました。また風呂に入るのも億劫になり、3、4日風呂にも入らず着替えもしないでいても平気でした。精神科より処方されたアモキサンには、意欲を高める効果がありましたから薬の効果はまだかまだかと待ち望んでいました。抗うつ剤には、人によって合う合わないがありますがそんな事はこれっぽっちも考えていませんでした。医師より「1週間ぐらいで効果がでる」と言われていましたし、インターネットでも10日前後で効果がでると調べていましたから。

しかし1週間たっても効果は出なかったのです。今思えばそんな事は当たり前だと気づきますが、当時はそんな事分かっていませんでした。それぐらい追い込まれていたのだと思います。
これでは困ったと診察を受けに行こうと思ったのですが何故か病院に行きたくなくて、家から出たくなくて仕方がなくなってしまったのです。なんとか妻に付き添ってもらって病院を受診するのでした。診察で調子が上がってこない事を伝えと抗うつ剤を増量してもらえました。
この事が原因でひろしは問題を起こすのですがそれはまだ先の話しです。

アモキサンという薬を飲んでも不思議と副作用はありませんでした。なので増量には全く抵抗なかっです。むしろ調子が上がってきてほしくて仕方がなかったのです。
その理由は急に就活に対する意欲が湧いてきたのです。体力も気力も落ちている今の状態では、就職出来ないという焦りがありました。その時は何を考えていたんだか体力をつけようと1日に3回も4回も散歩に行っていました。そんなのですぐ体力がつくわけではないのに。相変わらずゴミを捨てに行く気力はありませんでした。散歩は自分を奮い起たせて行っていました。
そんな生活を送っていると徐々に調子があがって来るのでした。急に身体が軽くなって自分で洗濯機を回して干すといった動作が出来る時があったのです。この状態が続けば就職出来ると当時は思っていました。

あったとは、出来るときと出来ない時のムラがあったからです。その時の状態を妻から言わせると、躁うつ病のように気分の上がり下がりが激しかったそうです。「大丈夫だ。仕事できるよ」と言ってたと思ってたら急に「やっぱりダメだ。仕事できないと」真逆の事を言ったりしていたようです。家事も急に積極的にやったり、急にやらなくなったりとかなりムラがあったようです。自分ではそんな事全く意識していませんでした。そんな状態の中思いつきで就職に向けて職場見学を申し込むのでした。
調子が上がってくるの実感し、急に就活を始めたのです。

まず第一歩として気になった求人の職場を見学をしようと思いました。ホームページで見学を行っているのを確認して自分で電話を入れました。受付の方に現在無職であり職を探している事を伝えると担当の方にに繋いでもらえました。見学をお願いした所すんなりとアポが取れました。当日の時間と服装を確認して電話を終えました。電話後急にやる気が出てきて、眉毛を整えたり、顔のうぶ毛を剃ったりと身なりを整えました。1ヶ月以上車を自分で運転する事が無かったので練習がてら見学先まで下見に行ったりもしました。準備万端にし見学を迎えるのでした。

しかし当日になると見学に行きたくなくて仕方がなくなりました。前日まではそんな感覚は無かったのですが。妻に後押しされてなんとか準備を済ませる事が出来ましたがやはり気持ちは行きたくなくて仕方がありませんでした。約束の時間に遅れては相手方に失礼にあたると妻に送り出され意を決して見学先のへ向かいました。格好はグレーの襟つきシャツに黒のデニムにしました。車の運転は問題なく約束時間に余裕持って着くことが出来ました。不思議と着いてしまえば行きたくない感覚はありませんでした。約束の時間に窓口で待っていると担当の方が迎えに来ました。応接室に案内され会社の概要について説明を受けました。説明の内容も頭に入ってきてましたし、受け答えもきちんと出来ていたと思います。その後約30分かけて会社内を見学しました。途中階段の昇り降りで疲弊する事がありましたが悟られる事なく無事見学を済ませるのでした。
家へ帰ると妻は心配な面持ちで待っていました。自分では心配されるよう事はないとこの時は思っていました。後日談になりますが、急に職場見学の約束を取り付けた、ひろしを大丈夫かと妻は心配でならなかったそうです。

急に思い立って職場見学をしてきたのですが帰ってきたら虚しい感情に襲われました。針金ハンガーを首に通してたりという自殺企図に近い行動を取るようになりました。気分も重苦しくなってきました。相変わらず散歩に2回、3回と行ったりしていました。
このままではマズイと思い「明日病院に連れていって」と伝えた所妻は「急には休みはとれないと」却下されてしまいました。それもそのはずです。ひろしが体調不良の度に妻は休暇をとって病院に連れていってくれていたので、そんなに休みばかり取れるはずがないのです。しかしその時のひろしはそうは思わず次の日にあることを企てるのです。それを察知したのか妻は次の日にひろしの妹を家によこしたのです。これでは実行に移せないと思い妹をなんとか家に返して、ひろしは1人になることに成功しました。
そのあることとは、死ぬ事です。虚しさから希死念慮が高まったのと病院に連れて行ってもらえない腹いせに自殺を企てたのでした。まずは携帯電話で自殺について調べものをしましたがどれもしっくりくるものではなかったです。首吊りが一番良いのかと思いまずは、首吊りする道具を探しました。するとベルトが見つかりました。皮のベルトのため頑丈です。あとは吊る場所だけです。階段の手すりに引っかけましたが地面に身体についてしまうため失敗。ドアノブに引っかけても失敗。ドアを閉めた状態でベルトをドアに挟み込ませて脚立に乗ることで身体を宙に浮かすことに成功。あとは脚立を蹴飛ばせば首吊りに成功できると思ったのですが、きたの体重をベルトが支える事が出来ず失敗に終わってしまうのです。

そんな簡単に死ねるもんじゃないんだと思い一旦は自殺を諦めるのでした。すると妻が午前中で仕事を終わらせて帰ってきたのでした。多分何かに気づいたのでしょう。これにひろしはマズイことをしたなと観念するのでした。その時何を言われたかは何故か覚えていません。たしかもう死のうとしない約束をしたのだと思います。これにてひほしの自殺は失敗に終わったのでした。機転を利かせて仕事から早く帰ってきてくれた妻には感謝です。
その後も死ぬ気になればなんとか出来ると自分を震いだ足せようとしても何も出来ませんでした。ゴミを捨てに行く事さえも億劫でした。妻と翌々日病院に行く事になりましたがそこで思いがけない出会いがあるのでした。

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