精神科診療所より精神科病院を紹介されて入院することになりました。医師の診察を受けて検温と身体測定をして、エレベーターに乗り入院する病棟に案内されました。確か5階建ての4階の病棟だと記憶しています。入院形態は任意入院でした。病棟は男子の閉鎖病棟でした。
精神科には、入院形態が何種類かあってその中で1番軽い入院という意味です。病棟も開放、閉鎖、急性期などと様々な病棟が存在します。精神科入院については後日記事としてアップする予定です。
鍵のかかる出入口を抜けると病棟です。そこには数人の看護師が待っていました。ひろしとその家族は面会室に通されました。そこでは名前や住所などの患者情報、今までの経過など聞かれました。その他入院同意書などにサインをして入院の手続きを済ませます。
携帯や現金などの貴重品は持つことが許されません。この場で妻に返却しました。またベルトやズボン、パーカー、靴などの紐類も持ち込めません。その時パーカーを着ていたのでパーカーの紐を抜き、靴ひもを預けたのを覚えています。
後日団ですが看護師と面談の際には、流暢に経過等を話していて本当に病気なのと母親を思ったそうです。あまりよく覚えていませんが抗うつ剤により気分が上がっていたのだと思います。
看護師との面談を終え病室に案内されます。ここで家族とはお別れです。病棟の構造は、よく覚えていません。病室はだだっ広い部屋に台とテーブル、ベットが1つ置かれている個室でした。テレビや冷蔵庫などは置かれていませんでした。
入院初日は夕食は部屋で食べてずっとベッドで横になっていました。幸い任意入院であったため部屋から自由に出ることが出来ましたがなんだか怖くてトイレ以外は行かなかったと思います。正確には行けませんでした。精神科病棟って独特の雰囲気があって怖い気分になりませんか。入院したことある方は、わかると思います。この感覚。
医師より新しくリフレックスという抗うつ剤と眠剤が処方されて、その薬を飲んで床に着きましたが全く眠れませんでした。リフレックスとは
鎮静効果があるようで医師は妻に旦那さんを一旦落としますねと言っていたそうです。
眠れないからといってスマホを見たり、音楽を聞くことも電気をつけることも出来ません。部屋にはもちろんコンセントもエアコンや電気のスイッチもありません。ただじっとベットに横になって耐えていたのを覚えています。
朝方になりやっと眠気がきてウトウトし始めた所で部屋の電気が付きました。部屋に看護師さんが入ってきて検温と採血が行われました。どんなやり取りをしたかは覚えていません。
その後は朝食を摂って薬を飲んでずっとベットで横になっていました。途中その日担当の看護師さんの挨拶やその日の勤務医がやってきましたがどんなやり取りをしたのかも覚えていません。その日はひろしの主治医は休みであることと胃のムズムズ感が襲ってきたのは覚えています。
一人でずっとベットで横になってるとある感覚がよぎってきました。ヤバい所に入院してしまった。このままでは自分がおかしくなってしまう。そう感じました。居ても立っても居られないいられなくなりました。入院すればなんとかなる。うつ病が良くなると思ってすがる思いで入院しましたがそんなことないと思いました。ふと窓の景色を眺め開けようと思いましたが数十センチしか開きませんでした。それがその感覚を増長させました。
するとこの場から脱出するべくある作戦を考えつきました。それは一刻も早く退院することです。幸いひろしは精神科病院に少なからず知識がありました。任意入院ならいつでも退院請求ができ退院する事ができるのです。それを実行に移すには自分の頭の中は正常であり入院の必要性がない事を証明する必要性があります。慎重に事を運ばないといけません。どう証明するかじっくり考えました。
するとある考えが思いつきました。その考えとは駆け引きはせず真っ向から病棟の長である看護師長に交渉することです。
早速実行に移すべく師長さんに面談を申し出て時間を作ってもらいました。時間まで色々なケースを想定して考えを巡らせました。時間に師長さんが部屋にやってきていよいよ交渉の場につきました。ひろしは自分の頭は正常であること、このままでは病気が悪くなってしまうこと伝えました。すると返ってきた答えは、「任意入院でも退院の申し出があっても72時間は留めることができるのを知っていますか」でした。しかしその返答もひろしには想定内でした。まだひろしには策がありました。そこである交渉を持ちかけました。それは家族に許可をもらうことでした。そうです妻に助けてもらうことです。そのためには、駆け引きはせず真っ向から勝負が必要だったのです。
「これから妻を呼ぶので退院の話しは、一切しません」「師長さんが直接妻に聞いて妻が良いと言ったら退院させてください」と申し出ました。すると師長は「わかりました」とすんなり申し出を受けてくれました。
善は急げと早速妻を病院に呼び出しました。たしか何か持ってきてくれと頼んだと思います。すると妻は面会に来る途中だったようで直ぐ近くに来ていました。妻が来るまで数分しかかからないかったと思いますが、妻が来るまでは心臓がバクバクで時間が止まったかの感覚に襲われたのを覚えています。
妻が病棟に来るとすぐさま師長さんは妻を面会室に案内し二人で話しをしました。どういう話しをしたかは分かりませんが妻は退院を許可してくれました。
続いてひろしも面会室に案内されました。その場には医師も同席していました。すると医師よりある提案がありました。「今日は、主治医が休みなので外泊扱いとして明日主治医が病棟に来た際退院について相談しましょう」という提案でした。
ひろしはその提案にすぐさま乗っかりました。妻、医師、師長さんに「ありがとうございます」と深々と頭を下げました。当初の予定とは違いましたが病棟から出るという目的は達成されました。
晴れて外泊扱いではありますが家に帰ることができて安堵したのを覚えています。外泊には許可証が必要でその用紙に必要事項を記入して外泊することになったのです。
この時にはよく考えていませんでしたが妻が仕事を休みでなかったらと思うとどうなっていたのかと考えてしまいます。また今となっては医師や師長さん、病棟スタッフには大変ご迷惑をかけたことを謝罪したいのとひろしの気持ちを組んでくれたことを深くお礼を申しあげたい気持ちでいっぱいです。
今のひろしがあるのは入院してうつ病と向き合うことができたからだと実感しています。